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鹽竈神社・志波彦神社 [東北の神社]

鹽竈神社・志波彦神社 (国幣中社・陸奥国一宮) 宮城県塩釜市一森山1-1
鹽竈神社
 御祭神  (別宮)鹽土老翁神 (左宮)武甕槌神 (右宮)経津主神
鹽竈(しおがま)神社の左宮・右宮の御祭神である武甕槌神・経津主神は共に国譲りに登場し、国土平定の業をなした神です。別宮の鹽土老翁神は古事記、日本書紀の海幸彦・山幸彦の説話に、釣り針を失くして困っていた山幸彦に目無籠(隙間のない籠)の船を与えワダツミの宮へ案内した事で有名ですが、一方博識の神としても登場しています。また、東北地方を平定する役目を担った鹿島(武甕槌神)・香取(経津主神)の神を道案内したのが鹽土老翁神の神とも言われています。やがて鹿島・香取の神は役目を果たし元の宮へ戻りましたが、 鹽土老翁神は塩釜の地に残り、人々に製塩法を教えたとされています。塩釜の地名の起こりともなっています。
鹽竈神社の創建の年代は詳らかではありませんが、平安時代初期、嵯峨天皇の御代に編纂された「弘仁式」に「鹽竈神を祭る料壱万束」と記され、厚い祭祀料を授かっていたことが知られます。武家社会となってからは平泉の藤原氏・鎌倉幕府の留守職であった伊沢氏、そして特に伊達氏の崇敬が厚く、歴代藩主が大神主として務めてきました。
現在の社殿は伊達家四代綱村公から五代吉村公に亘り九年の歳月をかけ宝永元年(1704年)竣工されたものです。平成十四年十二月、本殿・拝殿・四足門(唐門)・廻廊・随神門以下十四棟と、石鳥居一基が、国の重要文化財の指定を受けました。 (鹽竈神社HPより抜粋引用)
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志波彦神社
 御祭神  志波彦大神
志波彦神社の御祭神の志波彦大神は、記紀を始め各書にも神話伝承の見えない神様です。
志波とは「物のシワ」つまり端を指す言葉で、大和朝廷の統治範囲が北進するにつれ、シワの地(朝廷勢力圏の端)が遷っていき、この地方が朝廷に統治された際に、この地で信仰されていた国津神(土着神)を志波彦神或いは志波姫神と呼ぶようになったと言われています。農耕守護・殖産・国土開発の神としての信仰が伝わっており、農耕を生業としていた人々の守護神だったと考えられています。
志波彦神社はもと宮城郡岩切村(仙台市岩切)の冠川の畔に鎮座され、「延喜式」に収められている陸奥国百社の名神大社として、朝廷の尊信殊の外厚いものがありました。明治四十四年に国幣中社に列格され、明治七年十二月二十四日に鹽竈神社の別宮本殿に遷祀されました。
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