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大阪天満宮 [大阪の神社]

大阪天満宮  (府社)  大阪市北区天神橋2丁目1番8号
御祭神   菅原道真公
大阪天満宮の創始(御鎮座)は、平安時代中期にさかのぼります。菅原道真公の没後約50年の天暦3年(949年)のある夜、大将軍社の前に突然七本の松が生え、夜毎にその梢は、金色の霊光を放ったと言われます。この不思議な出来事を聞いた村上天皇は、これを菅公に縁の奇端として、同地に勅命を以て鎮座されました。
大将軍社は、その後摂社として祀られるようになりましたが、大阪天満宮では、現在でも、元日の歳旦祭の前に大将軍社にて「拂暁祭(ふつぎょうさい)」というお祭りを行い、神事の中で「租(そ)」と言ういわゆる借地料を納めることが習わしになっています。
現在のご本殿は、天保14年(1843年)に再建された物です。この大阪天満宮は、江戸時代の記録に残るだけで七度もの火災に遭い、なかでも大阪市中を焼き尽くした享保9年(1724年)の妙知焼けや、大塩平八郎の乱による天保8年(1837年)の大火では、全焼致しました。その約6年後に、大阪市中の氏子や崇敬者又献身的な奉仕者によって、現在のご本殿が再建されました。(大阪八幡宮HPより抜粋引用)
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生國魂神社 [大阪の神社]

生國魂神社  (官幣大社) 大阪市天王寺区生玉町13-9
御祭神  生島神 足島神
生國魂神社は、石山崎に生島神、足島神を祀ったのが始まりとされ、延喜式にも名神大社として記載がある古社です。天正八年(1580年)の石山合戦の時に焼失しましたが、天正十一年(1583年)豊臣秀吉が大阪城を築く際に現在の地に移転しました。本殿は移転の2年後に造営され、本殿と幣殿をひとつの流造で葺きおろし、正面に千鳥破風、すがり唐破風、千鳥破風の3つの破風を据えた所謂「生國魂造」様式を用いたものでした。
現在の本殿は戦後に建て替えられたコンクリート造銅板葺きですが、桃山時代の遺構を伝えています。
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枚岡神社 [大阪の神社]

枚岡神社 (官幣大社・二十二社) 大阪府東大阪市出雲井町7番16号
御祭神  天児屋根命 比売御神 武甕槌命 経津主命
主祭神の天児屋根命は、天の岩戸開きの際に岩の前で祝詞を唱えられた神で、また、天孫降臨に際しては、葦原の中つ国(地上)を治めるために瓊瓊杵尊と一緒に高天原(天上)から降り立たれた神々の中の一柱で、神話の中でもとりわけ重要な場面で重責を担う役割を務めていた神様です。また、大和朝廷及びその後の摂関政治において長く重要な職務を続けた中臣氏(藤原氏)の祖神でもあります。比売御神は天児屋根命の后神で、良妻賢母で知られています。
枚岡神社の創祀は、神武天皇の東征の際に、天皇の勅命を受けた天種子命が国土平定を祈願する為に神津嶽に天児屋根命と比売御神を祀られたのが始まりとされています。その後、孝徳天皇の白雉元年(650年)に山麓の現地に遷されました。
神護景雲2年(768年)に春日大社に天児屋根命と比売御神の二神を分祀しており、このことから枚岡神社は「元春日(もとかすが)」と呼ばれています。
宝亀2年(778年)には春日大社より武甕槌命と経津主命の二神を迎え、枚岡神社に四神が祀られるようになりました。
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住吉大社 [大阪の神社]

住吉大社 (官幣大社・二十二社) 大阪府大阪市住吉区住吉2-9-89
御祭神
 第一本宮 底筒男命、第二本宮 中筒男命、第三本宮 表筒男命、第四本宮 息長足姫命
御祭神の底筒男命・中筒男命・表筒男命は、伊邪那岐命が黄泉の国から伊邪那美命を救い出そうとした時に受けた「けがれ」を海で禊祓いした時に生まれた神です。禊祓いから発生した神であるので「お祓いの神」、海から出現したので「航海安全の神」として有名です。また、「和歌の神」「農耕・産業の神」「武勇の神」としても知られています。
第四本宮に祀られている神宮皇后は新羅侵攻の際に住吉大神の力により、新羅を平定し、無事帰還されました。このことから住吉大社に祀られることとなりました。
住吉大社の鎮座は、神宮皇后の時代、皇后の勅命により住吉郡の豪族であった田裳見宿禰がこの地に住吉三神を祀ったのが始まりと言われています。
天平勝宝元年(749年)を初回として、20年に一度の式年遷宮を現在まで続けており、近世、住吉大社では遷宮にあわせてお祭りも行うようになりました。
住吉神社の本殿はすべて国宝に指定されていますが、切妻屋根の入口は直線型妻入、柱・垂木・破風板は丹塗り、羽目板壁は白胡粉塗りといった「住吉造」と呼ばれる様式で作られています。
また、本殿四殿のうち、第一本宮から第三本宮までは直列に並び、第四本宮のみ第三本宮と並行に並ぶという独特の配置になっているのも特徴です。
全国2300余社ある住吉神社の総本社でもあります。
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