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神奈川の神社 ブログトップ

江島神社 [神奈川の神社]

江島神社  (県社)  神奈川県藤沢市江の島2-3-8
御祭神   江島大神(多紀理比賣命 市寸島比賣命 田寸津比賣命)
御祭神は、天照大神が須佐之男命と誓約された時に生まれた神で三姉妹の女神様です。
奥津宮の多紀理比賣命、中津宮の市寸島比賣命、辺津宮の田寸津比賣命の三女神を江島大神と称しています。古くは江島明神と呼ばれていましたが、仏教との習合によって、弁財天女とされ、江島弁財天として信仰されるに至り、 海の神、水の神の他に、幸福・財宝を招き、芸道上達の功徳を持つ神として今日まで仰がれています。福岡の宗像大社や広島の厳島神社と御同神でもあられます。
江の島湧出については諸説ありますが、『江島縁起』では、欽明天皇十三年(552年)四月十二日の夜から二十三日の朝まで大地が震動し、天女が十五童子を従えて現れ、江の島を造ったと表現しています。欽明天皇の勅命で島の洞窟(御窟・現在の岩屋)に神様を祀ったのが、江島神社のはじまりであると伝えています。
その後、文武天皇四年(700年)に、役小角という修験者が、江の島の御窟に参籠して神感を受け、修験の霊場を開きました。これに続き、泰澄、道智、弘法、安然、日蓮などの名僧が、御窟で次々に行を練り高いご神徳を仰いだと伝えられています。そして、弘仁五年(814年)に空海が岩屋本宮を、仁寿三年(853年)に慈覚大師が上之宮(中津宮)を創建。時を経て、建永元年(1206年)に慈覚上人良真が源實朝に願って下之宮(辺津宮)を創建しました。
慶安二年(1649年)に仏教との習合により、江島神社は金亀山与願寺と号しますが、江島大神としてのご神威はいささか曇り給うことなく、ご神徳はいよいよ広大に仰がれました。明治初年の神仏分離によって、仏式を全廃して純神道に復し、改めて「江島神社」と号し、これまでの本宮と御旅所は奥津宮、上之宮は中津宮、下之宮は辺津宮と改称しました。(江島神社HPより抜粋引用)
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鶴岡八幡宮 [神奈川の神社]

鶴岡八幡宮  (国幣中社)  神奈川県鎌倉市雪ノ下2-1-31
御祭神  応神天皇 比売神 神功皇后
鶴岡八幡宮は、康平六年(1063年)源頼義が奥州を平定して鎌倉に帰り、源氏の氏神として出陣に際してご加護を祈願した京都の石清水八幡宮を由比ヶ浜辺にお祀りしたのが始まりです。
その後、源氏再興の旗上げをした源頼朝公は、治承四年(1180年)鎌倉に入るや直ちに御神意を伺って由比ヶ浜辺の八幡宮を現在の地にお遷しし、 建久二年(1191年)には鎌倉幕府の宗社にふさわしく上下両宮の現在の姿に整え、鎌倉の町づくりの中心としました。
現在の御本殿は、文政十一年(1828年)、江戸幕府11代将軍徳川家斉の造営による代表的な江戸建築で、若宮とともに国の重要文化財に指定されています。深い杜の緑と鮮やかな御社殿の朱色が調和する境内には源頼朝公、実朝公をお祀りする白旗神社をはじめとする境内社のほか、静御前ゆかりの舞殿や段葛が八百年の長い歴史を伝えています。(鶴岡八幡宮HPより抜粋引用)
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箱根神社 [神奈川の神社]

箱根神社  (国幣小社) 神奈川県足柄下郡箱根町元箱根80-1
御祭神  箱根大神(邇邇芸命 彦火火出見尊 木花之佐久夜毘売神)
箱根神社は、古来、関東総鎮守箱根大権現と尊崇されてきた名社で、交通安全・心願成就・開運厄除に御神徳の高い運開きの神様として信仰されています。
第五代孝昭天皇の御代(2400有余年前)聖占上人が箱根山の駒ケ岳より、同主峰の神山を神体山としてお祀りされて以来、関東における山岳信仰の一大霊場となりました。
奈良時代初期、天平宝字元年(757年)万巻上人は、箱根大神様の御神託により現在の地に里宮を建て、箱根三所権現と称え奉り、仏教とりわけ修験道と習合しました。
平安朝初期に箱根路が開通しますと、往来の旅人は当神社に道中安全を祈りました。
鎌倉期、源頼朝は深く当神社を信仰し、二所詣(当神社と伊豆山権現参詣)の風儀を生み執権北条氏や戦国武将の徳川家康等、武家による崇敬の篤いお社として栄えました。
明治の初年には神仏分離により、関東総鎮守箱根大権現は、箱根神社と改称されました。(箱根神社HPより抜粋引用)
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寒川神社 [神奈川の神社]

寒川神社  (国幣中社・相模国一宮) 神奈川県高座郡寒川町宮山3916
御祭神  寒川大明神(寒川比古命 寒川比女命)
寒川神社の御祭神は寒川比古命と寒川比女命のニ柱の神様で、二柱の神様を併せて寒川大明神と奉称しています。寒川大明神は相模国を中心に広く関東地方をご開拓になられ、衣食住など人間生活の根源を開発指導せられた関東地方文化の生みの親神様として敬仰されてきました。
寒川神社の創祀年代はわかっていませんが、雄略天皇(456~479年)の御代に奉幣、また神亀四年(727年)社殿建立と伝える記録があり、少なくとも千五百年以上の歴史を誇ることになります。
初めての公の記録は、仁明天皇承和十三年(846年)神階従五位下を授けられたとの『續日本後紀』の記録があります。爾来神階の授与が度々なされており、齋衡元年(854年)従四位下、元慶八年(884年)正四位下、延喜十六年(916年)正四位上と進階されました。
また『延喜式』神名帳(927年編纂)によれば、相模国十三社のうち、唯一の名神大社とされています。
後には源頼朝、北條義時、武田信玄等の武将、徳川家代々の篤い信仰をうけており、相模国一之宮とも称され、霊験あらたかな神社として現在に至るまで信仰されてきています。
また、寒川神社は、古くより関八州の守り神として、また江戸の正裏鬼門をお護りするお社として、全国唯一の方位除・八方除の守護神として信仰されています。
地相・家相・方位・日柄・厄年などに由来する、すべての禍事・災難を取り除き、家業繁栄・福徳円満な日々をもたらすと言われているのが八方除の信仰です。(寒川神社HPより抜粋委引用)
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