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多賀大社 [滋賀の神社]

多賀大社 (官幣大社) 滋賀県犬上郡多賀町多賀
祭神  伊邪那岐大神 伊邪那美大神
御祭神の伊邪那岐大神、伊邪那美大神は我が国の国土を造り、天照大神をはじめとする八百万の神々をお産みになられた神です。命を授けた神であることから、延命長寿、縁結び、厄除けの霊神として、多くの人から古来より信仰を集めています。
鎌倉時代、僧重源は東大寺の再建にあたり、その任を全うすべく、多賀大社に延命の祈願をしたところ、虫食いで「莚」の字と描かれた柏の葉が落ちてきました。「莚」の字は「廿(二十の意味)」と「延」に分けられ、無事、20年の延命が叶い、東大寺再建をおこなうことができたという逸話があります。
また、豊臣秀吉においても大政所の病気に際し、「三か年、ならずんば二年、げにげにならずんば三十日でも」と延命の祈願文を寄せ、米一万石を寄進したという話が残っています。幸いにも大政所は治癒され、この一万石で今も残る「太閤橋」や「億書院庭園」が造営されています。
古事記によると、伊邪那岐大神は「淡海の多賀に坐すなり」という記述もあり、古事記の記載年から考慮すると多賀に鎮座されたのは少なくとも8世紀以前と見られます。多賀大社は八百万の創造の神である伊邪那岐大神が最後に選ばれた地ということもあり、特別な意味を持った場所となっています。
両大神は伊勢神宮に祀られている天照大神の父母でもあることから、「お伊勢参らばお多賀へ参れ、お伊勢お多賀の子でござる」「お伊勢七度、熊野へ三度、お多賀さまへは月参り」という俗揺もあり、特に中世から近世にかけては、伊勢神宮、熊野大社と共に参詣の多い場所でもありました。
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