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筥崎宮 [福岡の神社]

筥崎宮 (官幣大社・筑前国一宮) 福岡県福岡市東区箱崎1-22-1
御祭神  応神天皇 神功皇后 玉依毘売神
筥崎宮は筥崎八幡宮とも称し、宇佐、石清水両宮とともに日本三大八幡宮に数えられます。 御祭神は筑紫国蚊田里、現在の福岡県宇美町にお生まれになられた応神天皇(第十五代天皇)を主祭神として、神功皇后、玉依姫命がお祀りされています。創建の時期については諸説あり、古録によれば、平安時代の中頃である延喜二十一年(西暦921年)、醍醐天皇が神勅により「敵国降伏」の宸筆を下賜され、この地に壮麗な御社殿を建立し、延長元年(923年)筑前大分宮(穂波宮)より遷座したことになっています。
鎌倉中期、蒙古襲来(元寇)のおり、俗に云う神風が吹き未曾有の困難に打ち勝ったことから、厄除・勝運の神としても有名です。後世は足利尊氏、大内義隆、小早川隆景、豊臣秀吉など歴史に名だたる武将が参詣、武功・文教にすぐれた八幡大神の御神徳を仰ぎ筥崎宮は隆盛を辿りました。江戸時代には福岡藩初代藩主黒田長政、以下歴代藩主も崇敬を怠ることはありませんでした。明治十八年には官幣中社に、大正三年には官幣大社に列せられました。
醍醐天皇の延喜二十一年(921年)、大宰少弐藤原真材朝臣が神のお告げにより神殿を造営し、長徳元年(995年)、大宰大弐藤原有国が回廊を造営したと伝えられています。しかしその後、元寇の戦火、兵乱などにより幾度かの興廃がありました。現存する本殿、拝殿は天文十五年(1546年)大宰大弐大内義隆が建立したものです。
本殿は、九間社流造、漆塗、屋根は檜皮葺、左右には車寄せがあります。拝殿は切妻造、檜皮葺で、梁組が二重になっている素木のままの端正な建物です。
楼門は、文禄三年(1594年)筑前領主小早川隆景が建立、三間一戸入母屋造、檜皮葺、三手先組といわれる枡組によって支えられた、八十三坪余りの雄大な屋根を有した豪壮な建物です。「敵国降伏」の扁額を掲げていることから伏敵門とも呼ばれています。
本宮の鳥居は、御本殿近くより数えて一之鳥居、二之鳥居と呼ばれます。一之鳥居は慶長十四年(1609年)、藩主黒田長政が建立したとその銘にあります。この鳥居の柱は三段に切れ、下肥りに台石に続いています。笠木島木は一つの石材で造られ、先端が反り上がり、貫と笠木の長さが同じ異色の鳥居であり、「筥崎鳥居」と呼ばれています。 (筥崎宮HPより抜粋引用)
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