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日枝神社 (官幣大社) 東京都千代田区永田町2-10-5
御祭神 大山咋神
日枝神社は武蔵野開拓の祖神・江戸の郷の守護神として江戸氏が山王宮を祀ったことから始まり、さらに文明十年(1478年)太田道灌公が江戸の地を築城するにあたり、鎮護の神として川越山王社を勧請しました。
やがて天正十八年(1590年)徳川家康公が江戸に移封され、江戸城を居城とするに至って「城内鎮守の社」「徳川歴朝の産神」として、また江戸市民からは「江戸郷の総氏神」「江戸の産神」として崇敬されました。
二代秀忠の時の江戸城大改造の際、城内紅葉山より新たに社地を江戸城外に定め、社殿を新築して遷祀されました。
明暦三年(1657年)の大火で社殿炎上の災に遇いましたが、時の将軍家綱は直ちに赤坂の溜池を望む松平忠房の邸地を官収して社地に充て、結構善美を尽くした権現造の社殿を造営・遷祀しました。
萬治二年造営の社殿は、江戸初期権現造の代表的建物として国宝に指定されていましたが、昭和二十年五月に戦禍に遭い、末社山王稲荷神社を残し悉く烏有に帰しました。しかし、氏子崇敬者の奉仕により、昭和三十三年六月以降、本殿・神門・廻廊・参集殿が逐次完成、更に末社改築、摂社の大修築、神庫校倉の改造等を相次いで行ない、山王台上に再び大社の偉容を拝するに至りました。(日枝神社HPより抜粋引用)
御祭神 大山咋神
日枝神社は武蔵野開拓の祖神・江戸の郷の守護神として江戸氏が山王宮を祀ったことから始まり、さらに文明十年(1478年)太田道灌公が江戸の地を築城するにあたり、鎮護の神として川越山王社を勧請しました。
やがて天正十八年(1590年)徳川家康公が江戸に移封され、江戸城を居城とするに至って「城内鎮守の社」「徳川歴朝の産神」として、また江戸市民からは「江戸郷の総氏神」「江戸の産神」として崇敬されました。
二代秀忠の時の江戸城大改造の際、城内紅葉山より新たに社地を江戸城外に定め、社殿を新築して遷祀されました。
明暦三年(1657年)の大火で社殿炎上の災に遇いましたが、時の将軍家綱は直ちに赤坂の溜池を望む松平忠房の邸地を官収して社地に充て、結構善美を尽くした権現造の社殿を造営・遷祀しました。
萬治二年造営の社殿は、江戸初期権現造の代表的建物として国宝に指定されていましたが、昭和二十年五月に戦禍に遭い、末社山王稲荷神社を残し悉く烏有に帰しました。しかし、氏子崇敬者の奉仕により、昭和三十三年六月以降、本殿・神門・廻廊・参集殿が逐次完成、更に末社改築、摂社の大修築、神庫校倉の改造等を相次いで行ない、山王台上に再び大社の偉容を拝するに至りました。(日枝神社HPより抜粋引用)
2016-03-05 07:30
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