SSブログ
四国の神社(1) 埼玉の神社(5) 千葉の神社(1) 茨城の神社(2) 奈良の神社(7) 滋賀の神社(5) 大阪の神社(4) 京都の神社(17) 愛知の神社(3) 兵庫の神社(2) 三重の神社(1) 静岡の神社(5) 東北の神社(2) 群馬の神社(1) 福岡の神社(5) 岡山の神社(1) 東京の神社(7) 栃木の神社(3) 神奈川の神社(4) 北海道の神社(1) 山口の神社(1) 石川の神社(2) 富山の神社(1) 長野の神社(2) 広島の神社(1) 島根の神社(6)

神田神社 [東京の神社]

神田神社  (府社)  東京都千代田区外神田2-16-2
御祭神   大己貴命 少彦名命 平将門命
社伝によると、神田神社は天平二年(730年)に出雲氏族で大己貴命の子孫・真神田臣により武蔵国豊島郡芝崎村(現在の東京都千代田区大手町・将門塚周辺)に創建されました。
その後、天慶の乱で活躍された平将門公を葬った墳墓(将門塚)周辺で天変地異が頻発し、それが将門公の御神威として人々を恐れさせたため、時宗の遊行僧・真教上人が手厚く御霊をお慰めして、さらに延慶二年(1309年)当社に奉祀しました。戦国時代になると、太田道灌や北条氏綱といった名立たる武将によって手厚く崇敬されました。
慶長五年(1600年)、天下分け目の関ヶ原の戦いが起こると、当社では徳川家康公が合戦に臨む際、戦勝のご祈祷を行ないました。すると、9月15日、神田祭の日に見事に勝利し天下統一を果たされました。これ以降、徳川将軍家より縁起の良い祭礼として絶やすことなく執り行うよう命ぜられました。
江戸幕府が開かれると、当社は幕府の尊崇する神社となり、元和二年(1616年)に江戸城の表鬼門守護の場所にあたる現在の地に遷座し、幕府により社殿が造営されました。以後、江戸時代を通じて「江戸総鎮守」として、幕府をはじめ江戸庶民にいたるまで篤い崇敬を受けました。
明治時代に入り、社名を神田明神から神田神社に改称し、東京の守護神として「准勅祭社」「東京府社」に定められました。
大正十二年(1923年)、関東大震災により社殿が焼失してしまいましたが、氏子崇敬者をはじめ東京の人々により、はやくも復興が計画され、昭和九年に当時としては画期的な鉄骨鉄筋コンクリート、総朱漆塗の社殿が再建されました。昭和十年代後半より、第二次世界大戦の空襲により、当社の境内も多くの建造物がほとんど烏有に帰しましたが、耐火構造の社殿のみわずかな損傷のみで戦災を耐えぬきました。(神田明神HPより抜粋引用)
kanda1.JPG
kanda2.JPG
kanda3.JPG
kanda4.JPG
kanda5.JPG
神田明神.jpg
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

日枝神社笠間稲荷神社 ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。